古事記の冒頭にタカミムスヒ・カムムスヒという神が登場する。その神は古事記においてどういう意味を持っているのかについて従来さまざまな研究がされてきた。今回の論文の中で古事記におけるタカミムスヒ・カムムスヒについてシャーマニズムという視点から考察してみたい。タカミムスヒ・カムムスヒが登場する場面を取り上げ、その分析を通して、この二柱の神は古事記においてどのような意味を持つのか考えてみたい。死と再生シャーマニズムタカミムスヒカムムス
西沢一風作『風流今平家』(元禄十六年三月刊)の副題簽をとりあげ、その記載内容を検討、自作における方法を一風自らがどのように解き明かしているのか考察する。主な考察の対象は、副題簽中で使われている表現技法...
この論文は、「尾道学」の先駆者のひとり、亀山士綱によって文政八年(一八二五年)に刊行された『尾道志稿』により、「尾道学」という学問成立の可能性とその方法について論じるものである。期待される尾道学とは、...
八幡縁起は古代、中世に流行した八幡信仰を背景とする縁起絵巻で、北野縁起などと共に我が国の社寺縁起を代表する絵巻の一である。小稿では従来、甲乙類に分類される八幡縁起絵巻の乙類に属すると見られる新出資料、...
古事記の冒頭にタカミムスヒ・カムムスヒという神が登場する。その神は古事記においてどういう意味を持っているのかについて従来さまざまな研究がされてきた。今回の論文の中で古事記におけるタカミムスヒ・カムムス...
本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
二宮邦次郎の故郷の備中松山-高梁では幕末に誠意と隣人愛による高貴な精神性が確立していた。それは明治維新による戦乱と社会革命の混乱の中にあっても地下水脈のように高梁の人々の心の中に保存されていた。新島襄...
わが国における作文・綴り方教育は、戦前に、芦田恵之助の随意選題の提唱や鈴木三重吉による「赤い鳥」の刊行等によって飛躍的に発展し、やがて生活綴り方の実践・理論によって、一つの頂点を迎えた。しかし、その後...
「古都」の物語序盤、嵯峨の尼寺に父を訪ねた千重子の歩く、仇野念仏寺から二尊院を経て野々宮神社へと行き着く道筋は、無縁・厭世に支配される磁場から、共存・協力を暗示する土地を経て最後に「縁結び」の地に行き...
本論では、人間が「苦悩」を引き受けるとは如何なるものかについて展開する。まず「苦痛(痛み)」の経験が契機となり、自己がその人間存在の根柢において、新しい世界を見出す可能性について述べる。さらにその経験...
現在、木村茶道美術館では蒔絵師中山胡民(一八七〇没)作の盃を所蔵する。盃には寿の文字が蒔絵され溝口直諒(一七九九│一八五八)の六十賀祝の品として作られた。調査から寿の文字は、直諒の学書の師である平林淳...
埼玉県越谷市文芸作品は、それぞれの作品がそれぞれ独自の文体を持つ。その文体も、時代により大きく異なる傾向があると思われるが、『源氏物語』のような大作では、五十四帖の一帖一帖の文章に特徴があるはずである...
埼玉県越谷市本稿は、いわゆる「係り結び」の研究であるが、狭義の「~ぞ・なん・や・か~連体形」の場合と、「~こそ~巳然形」の場合に範囲を限り、「~は・も~終止形」については取り上げていない。又、係助詞の...
The late Dr. Wiesław Kota´nski (1915-2005) at Warsaw University studied the Kojiki during his lifet...
国譲り神話の末尾における「天の御饗」の記述をとりあげる。「天の御饗」を献る対象は天つ神であるのかオホクニヌシであるのかということは国譲り神話と古事記におけるオホクニヌシの性格に深く関わっている。この論...
清浄華院の僧であった向阿によって著わされた 『帰命本願抄』、『西脇要抄』、『父子相迎』 のいわゆる三部仮名抄は日本の浄土教を代表する仮名法語である。その三部仮名抄には、必ずしも古写本が多くは残されてい...
西沢一風作『風流今平家』(元禄十六年三月刊)の副題簽をとりあげ、その記載内容を検討、自作における方法を一風自らがどのように解き明かしているのか考察する。主な考察の対象は、副題簽中で使われている表現技法...
この論文は、「尾道学」の先駆者のひとり、亀山士綱によって文政八年(一八二五年)に刊行された『尾道志稿』により、「尾道学」という学問成立の可能性とその方法について論じるものである。期待される尾道学とは、...
八幡縁起は古代、中世に流行した八幡信仰を背景とする縁起絵巻で、北野縁起などと共に我が国の社寺縁起を代表する絵巻の一である。小稿では従来、甲乙類に分類される八幡縁起絵巻の乙類に属すると見られる新出資料、...
古事記の冒頭にタカミムスヒ・カムムスヒという神が登場する。その神は古事記においてどういう意味を持っているのかについて従来さまざまな研究がされてきた。今回の論文の中で古事記におけるタカミムスヒ・カムムス...
本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
二宮邦次郎の故郷の備中松山-高梁では幕末に誠意と隣人愛による高貴な精神性が確立していた。それは明治維新による戦乱と社会革命の混乱の中にあっても地下水脈のように高梁の人々の心の中に保存されていた。新島襄...
わが国における作文・綴り方教育は、戦前に、芦田恵之助の随意選題の提唱や鈴木三重吉による「赤い鳥」の刊行等によって飛躍的に発展し、やがて生活綴り方の実践・理論によって、一つの頂点を迎えた。しかし、その後...
「古都」の物語序盤、嵯峨の尼寺に父を訪ねた千重子の歩く、仇野念仏寺から二尊院を経て野々宮神社へと行き着く道筋は、無縁・厭世に支配される磁場から、共存・協力を暗示する土地を経て最後に「縁結び」の地に行き...
本論では、人間が「苦悩」を引き受けるとは如何なるものかについて展開する。まず「苦痛(痛み)」の経験が契機となり、自己がその人間存在の根柢において、新しい世界を見出す可能性について述べる。さらにその経験...
現在、木村茶道美術館では蒔絵師中山胡民(一八七〇没)作の盃を所蔵する。盃には寿の文字が蒔絵され溝口直諒(一七九九│一八五八)の六十賀祝の品として作られた。調査から寿の文字は、直諒の学書の師である平林淳...
埼玉県越谷市文芸作品は、それぞれの作品がそれぞれ独自の文体を持つ。その文体も、時代により大きく異なる傾向があると思われるが、『源氏物語』のような大作では、五十四帖の一帖一帖の文章に特徴があるはずである...
埼玉県越谷市本稿は、いわゆる「係り結び」の研究であるが、狭義の「~ぞ・なん・や・か~連体形」の場合と、「~こそ~巳然形」の場合に範囲を限り、「~は・も~終止形」については取り上げていない。又、係助詞の...
The late Dr. Wiesław Kota´nski (1915-2005) at Warsaw University studied the Kojiki during his lifet...
国譲り神話の末尾における「天の御饗」の記述をとりあげる。「天の御饗」を献る対象は天つ神であるのかオホクニヌシであるのかということは国譲り神話と古事記におけるオホクニヌシの性格に深く関わっている。この論...
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西沢一風作『風流今平家』(元禄十六年三月刊)の副題簽をとりあげ、その記載内容を検討、自作における方法を一風自らがどのように解き明かしているのか考察する。主な考察の対象は、副題簽中で使われている表現技法...
この論文は、「尾道学」の先駆者のひとり、亀山士綱によって文政八年(一八二五年)に刊行された『尾道志稿』により、「尾道学」という学問成立の可能性とその方法について論じるものである。期待される尾道学とは、...
八幡縁起は古代、中世に流行した八幡信仰を背景とする縁起絵巻で、北野縁起などと共に我が国の社寺縁起を代表する絵巻の一である。小稿では従来、甲乙類に分類される八幡縁起絵巻の乙類に属すると見られる新出資料、...